ジョンとヨーコのようになりたいなぁ。
1966年にビートルズがライブ・ツアーを休止しその活動に一つの区切りをつけた後、ジョンは映画『How I Won The War』(当時の日本では上映されず、1993年にビデオで初めて発表された。邦題:『ジョン・レノン僕の戦争』)に出演。また、その年にロンドンのインディカ・ギャラリーで彼は後に二人目の妻となるオノ・ヨーコに出会った。二人は同年の『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の録音期間中より、ヨーコの個展にジョンが出資するなどして交際を始めた。ジョンは1968年2?4月のインドでの修行中も、シンシアを同行させていながら、ヨーコと密に文通で連絡を取り合っていた。5月、ヨーコへの思慕を募らせたジョンは、シンシアの旅行中にヨーコを自宅に招き入れ、以後ヨーコはジョンとの同棲生活を始めた。シンシアはその年の7月に離婚申請を行い、11月8日に離婚が成立した。
ジョンにとってヨーコの存在は公的にも私的にも不可分となり、ビートルズのセッションにも影響を与えた。ビートルズのグループとしての音楽製作に他人が深く入り込むことに違和感を覚えた他メンバーとの間に不協和音を生じることも多かった。後に、マスコミや一部のファンから、ヨーコはビートルズ解散の原因として不当に責められることともなった。
1969年3月にジョンとヨーコはジブラルタルで挙式し、新婚旅行で訪れたアムステルダムで「ベッド・イン」という平和を訴えるパフォーマンスを行った。彼らは多くのメディアから奇妙なカップルとして取り上げられる一方、反戦運動における重要人物としても見なされるようになった。このほかにも1969年以降は、ジョンはヨーコと共にプラスチック・オノ・バンドとしての活動やベトナム戦争に対する反対と平和を求める活動に多くの時間を費やし、ビートルズは実質的に解散状態となっていった。
結婚後間もなくジョンはミドルネームのWinston(イギリスの首相ウィンストン・チャーチルにちなんで名付けられた)からOnoへの変更を申し立てたが、変更は認められずパスポート、グリーンカードなどはJohn Winston Ono Lennonと表記されている。
ジョンの本格的なソロ活動前に二人は実験的・前衛的な『トゥー・ヴァージンズ』、『ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』、『ウェディング・アルバム』の3枚のアルバムを発表した。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)
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